今日は写真無しの独り言です。
私の写真を撮る理由についてです。
先日写真家さんが写真を撮る理由について語る記事を拝見したものですから、
私も話してみようかな、なんて。
本ブログのAboutにも記述されているように、
元々私が写真を撮り始めたのはトイカメラの流行に触発されたのが始まりで、
誰かの心に響いてくれたらいいな、なんて考えながら続けています。
こんな単純な理由で始めた写真ですし、
ほぼ全てスナップ写真なもんですから、何か特別な知識や技術、コンセプトがあるわけではありません。
意図したり思考(構図や被写体の決定)することはあんましないですかね。
私は写真を撮ることで「自分の存在を証明」しています。
自分を表現しているわけではないんです。
この世界に必要有る無しでは無く、自分が存在しているかどうかさえ疑わしく感じていた少年時代。
当時は人と上手く関われず、「音楽を聴く」という行為によって自分の存在を証明していました。
音楽を聴いている間は「聴き手」として自分が存在していることを認識出来るので。
何かメロコアの歌詞みたいですけど。
虐められていた訳では無いと思うんですが、存在を認められていると感じることは無かったんです。
で、高校生になってこんな私と関わってくれる人たちと仲良くなって、
妙にネガティブで好戦的な性格も改善してきてはいます。
ただ、やっぱし芯の部分は変わっていないから、常に自分が存在していることを誰かに分かって欲しいと思ってしまう。
音楽を聴いているのと同じように、
写真を撮る時も「撮影者」として自分の存在を証明しています。
生物としての被写体が存在する場合は、表情や視線から撮影者である私の存在を写真に撮る。
物体としての被写体が存在する場合は、私という撮影者がその場に存在していた証拠として写真を撮る。
いつの日か写真で自分を表現してみたいな、なんて思うこともありますが、
今はこの世界に私が存在していることだけ伝わればいいかな。
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